学生の研究ことはじめ

どんなに成果を残している研究者の研究も、最初は手探りのヒヨコ状態から始まります。 学生の数年間というのは、時として闇雲な手探りを、方向性・一貫性のある目標遂行プロセスへと変貌を遂げさせる時期です。 これは思った以上に難しい変化だと思います。キャリアは30年程度あるとして、キャリアの中で使い続ける技術を数年間で身に付けねばならないのです。

例に漏れずというか、私はこの点に関して、大きな失敗を犯したという自負があります。 私がPhDプロジェクトとして修士課程から取り組んだ問題は、移動分散の進化でした。 というと簡単そうに聞こえますが、実は理論的には、込み入った分野なのです。 進化ゲーム理論はまだしも、血縁選択理論・集団遺伝学理論(の初歩)など、適切な知識や手法をカバーしている研究者人口がかなり限られるのです。 今でこそ、人に教えられる程度には習熟した理論ではありますが、ややタコツボ化している傾向もある、いわば「マニアック」な分野なのです。 さらなる問題は、とある近似手法が頻繁に使われるという事情もあって、数学的に厳密に勉強しようとしても、資料が更に限られる。 資料にたどり着いたとして、非常に難解に書かれてあったり、記号が複雑であったり、はたまた出版社によるタイポが大量に紛れ込んでいたり(これら傾向は相関があり、独立ではないと思いますが)。 博士課程2年生の段階で、それら論文を「解読」するために数ヶ月を費やすということもザラでした。

そんなに大変ならそのプロジェクトに見切りをつければいい、というのは一つの考え方です。 しかし、学生に、うまく見切ることができるでしょうか。できる人はいると思います。でもできない人も多いと思います。 コンコルドの誤りである「せっかく今までやってきたんだから…」にも陥りやすいですし、 見切った先のプロジェクトが、的確な方向性かどうかもわからないわけです。 私はあまり指導教員からの直接的指導を受けてこなかった(それは非常に良い訓練でした)ので、深く考え込んでは頓挫し、見切っては新しい問題に着手して深く考え込み、を繰り返していたように思います。 このやりかたは全くおすすめしません。

もしも自分が学生の頃に戻るのであれば、どうしたいか。 これはおそらく理論生物学特有の事情なので、他の分野についてはよくわかりませんが、 真っ先に考えつくのは、「まずは研究の作法を知る」です。 具体的には、以下のような段階を(厳密に順序を反映しているわけではなくとも)経ることが重要です。

一つめは未解決問題の発見と見通しを立てることです。 問題発見は根本的な前提なのですが、その問題を部分的にでもいいから解決できる見込みがあるかどうか、をまず判断せねばなりません。 この時点で、「まずはやってみよう」ということにアクセルとブレーキの判断をはたらかせる必要があります。 これはとても難しいことですから、指導者と議論しながら進めると良いと思います。 二つめは問題解決手法の習熟です。解きたい問題に応じて、解決手法を身につけるのです。 三つめは問題解決とその相対化です。問題を具体的に解決し、さらに膨大な先行研究に対してどのような意義を持つかを、先行研究を参照しつつ調べねばなりません(もちろん、これはどのステップでも必要ですが)。 四つめは人に説明することです。学会やゼミなどでアイデアや結果を共有し、他者の意見を見聞きする必要があります。 (ただし、このステップがなくても成立する研究は多くあるとは思いますが、査読者にも適切に説明する必要があることは念頭に置くべきです。) どんなに自身の満足のいく形で結果を示したとしても、図・解釈などを通じて、他者を説得できる(あるいは、自分が他者の理解を助ける)必要があります。 五つめは情報整理です。引用文献や解析内容、あるいは数値計算のコードなど、その研究内容を中心にして、情報が膨らんでくるはずです。 その情報を適切に整理し、いわば取捨選択する必要があります。 六つめは研究環境構築です。これは、数値計算や論文執筆などの環境を整えるということに加えて、デスクや食事や寝床など、物理的環境の整備も含まれます。 そして最後は、執筆・改訂・投稿・査読者対応・再改訂・掲載にこぎつけることです。何ステップもありますが、要は執筆して掲載まで持っていくということです。 一般には、これら多くの段階を、時として行ったり来たりしながら、進めていくことが必要になります。 もちろん、上の段階は単純化しているので、もっと複雑に分解することも可能です。(そうしたとしても、下の結論は変わりません。)

さて、こんなに多段階のプロセスなのだとすると、とある問題が生じます。 たとえば、地点Aから地点Bへ自転車で行き、地点Bから地点Cへ泳いでゴールへ行くという、トライアスロン(からランニングを除いたもの)を考えます。 このとき、競技者が自転車を漕ぐのが抜群に速くても、泳げない場合、ゴールには決してたどり着かないのです。 研究も同じです。どの段階でコケても、論文掲載には至らない、あるいは至る確率が著しく低下するのです。 仮に、これら七段階の課題を適切に対処する「能力」の合計値がだれしも同じくらいであると仮定とします。(その能力は、数値的に測定できると仮定します。) すると、もっとも論文掲載に至りやすいのは、どの能力も均等に備わっている人物であることが、数学的に簡単に証明できます。 たとえば、未解決問題の発見が地球上の誰よりもうまかったとしても、解決手法を身に着けていないなら、決して論文掲載に至りません。 とても単純化された帰結ではありますし、定性的な結論でしかありませんが、これが現実です。

学生の間には、限られた時間の中でこれらの能力をバランスよく身につけることが必要不可欠です。 そのためには、いずれの段階も経験せねばなりません。 この段階をすべて経験して初めて、自分にとってこれから向上させたい部分がわかります。 この7段階を一括りにして、私は「研究の作法」と呼んでいます。

この研究作法を身につけるためには、もう一つ大事なことがあります。 まずは一つのプロジェクトに集中することです。 いろいろなプロジェクトを並行してハンドルし、適切に研究作法を経ていく…。 ああ、これができればどれだけ素晴らしいことでしょう。 できる人もいると思います。しかし極めて困難です。 もちろん、研究頓挫のときのためのリスクヘッジ(保険)はあったほうが良いです。 でもそれは研究プロジェクトのマイナーシフトによって達成すべきであって、独立なプロジェクトを複数まわすという形で行わないほうが良いです。 地点Cへ行く予定だったのを、地点C’に変更する、くらいのものであったほうがよいです。

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